20.01/05. note ー 舟とネットワーク
舟
思考に舟が登場する。
生きぬくことを考えていると、よく出てきます
生き抜く、というのはここでは
人々と関わったり、今の環境のなかで、
手元、足元の選択をしていくことです。
働き方、お金や時間の使い方、したいことをするには、どれくらいの時間がいるかとか、言葉の選び方とか、長期的なものから、今日の行動まで 。
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社会や環境を海原として、私たちはそれぞれの舟で進んでいる、というイメージをよくする。
その舟のカタチは様々であり、進み方や大きさも違うのが、生き方の違いとかに当てはまってくる。
会社とかは大きな舟に複数人乗ってるものだと思う。脱落して、救命ボートでしばらく進まなくちゃいけなくなったり。
その社会の、海のどこかで大きな出来事があれば、波が立って、それぞれに伝わっていく。災害がおきたり、誰かが亡くなるときも、波紋になってひとりひとりに伝わっていくような感じがする。
そうして繋がっているように思うから、全く違った生活をしてるのに、同じことを考えている人がいたりすると、自然とその舟を意識したりします。同じ水面上にいるなあと感じたり、そこで見上げた星空の、同じ座標の下に生きているのかもなあ、とか。
暗い中で一人で漕いでいるので、
そういうのを感じると、月明かりのようなぼんやりとした燈りを感じて
勇気をもらえるし、
”続けること”の意味を感じる瞬間になります。
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SNSは、なんというか、
物質として形のないものでありながら
それぞれの生活や行動との距離の近い表現なので、
どうしてもそういう生き方や舟のようなイメージも持ちながら接することになります。
自分の中では。
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SNSの更新をすると、今までの付き合いのなかで繋がってきたひとたちが、それぞれにどこかで見ていることを想像します。
この発信を見る人のなかには、仕事でお世話になった人、迷惑かけた人、同志や友人、会ったことのない人が一度にいて
何かを発信する時、した直後には、その全ての人の気持ちや生活に意識が向きます。
基本、目しか使わないから頭ばかり働かすし、考え過ぎてしまいやすくなるのだと思います。
ひとの心や生活と、簡単にアクセスできるということだし、(様々な暮らし方をしている)見る側からも心や生活との距離も近い。見るタイミングとかも、それこそ個人的な生活習慣や気まぐれによってくるし。
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ひとの気持ちや生活になんて、私ごときが構ってはいけないと思うのですが、とくに私の癖として、そんなエネルギーをどうしても使ってしまいます。
だから、自分にとってはSNSも、“作品”の一部を見せるくらい、肩に力の入った気持ちで接してしまいます。
一回一回の投稿が、自分のしたいことの“文脈”となっている、というようにおもえていないと。
作品を出す身からすると、面白みとしても、目障りなものとしてとられても、仕方ないっていう割り切りは、ある意味必要なものだとよく語られる。
それより自分がどんな文脈を作ろうとして更新をしているのか、というのを、わかってもらえるまで続けるしかないのだと、思います。
はやく思考の舵取りを覚えて、
そのへんで作った笹の舟を川に浮かべるくらいの気持ちで
やれるようになれたらって思います。