20.01/11. embroidery note

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この日は週末気分で、帰ってそのままチクチクやっていると友人から連絡があり、温泉へ連れて行ってもらった。
今週はみんなで遊んでいるライブハウスで、年明け恒例のライブイベントがあり、県内いろんな土地から同志が集まる連休になる。
バンドをやってる友だちもみんな、それぞれがいろんな節目を経て、こういう日に集まったり集まらなかったりしてる。また旅立つ友人を送る飲み会もあって、そのことをよけい意識するのでした。

 


ほぼ寝ながら刺してた部分はやはり面白い。
タカが外れたものだから、しっかりしてるときの自分の、やり甲斐やインスピレーションを刺激するのかもしれない。

20.01/10. embroidery note

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眠くて眠くて、作業の途中でたびたびその格好のまま停止しまくってました。

鉛筆で描いてても、そういう時にひいてた線がけっこう面白かったりするけれど。

 

今日は帰りにヨーカドーで野菜を買い、そのままイートインに入っているこすげ亭であたたかい山菜そばを食べた。

がんばるために食べ物もかなり偏ってしまっているので、立て直したいところなのだ。

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食べようと思って覗き込む瞬間。外でおいしいご飯を食べる「いただきます」の瞬間。食べれる喜びと見た目の美しさがリンクしてハイになる。きれいだ!と思って、行儀わるく、箸を突き刺してから写真をとってしまった。

山菜おいしかった。

 

ひとつのことに集中することも大事だけれど、

ちゃんと離らかしてみる、という作業がこまめに必要になってくる。

昨日1日おいてみて、それがとても効果的なことを実感した。小さな休憩を、こまめに、こまめに。

20.01/09. embroidery note

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embroidery note 5

灯油がなくなりそうでヒヤヒヤしながら。

ただ人の目に触れるだけで緊張する自分は、
会社から帰って気が抜けるとよく食べます。
今朝、会社で流れてるラジオで
「食べることは生きること、食べ方も生き方」と伊織さんが言っているのを聴いて、大事だよなあと思いました。
なんだか毎日焦ってると、どうしても食べる時間もなにか情報を得ようとしてしまいます。そういえば一人で部屋で食べてる時って、絶対なんかしてるかも。そして、以前やってみたけど食べる“だけ”って、けっこう難しい。
わりにこれも依存なのかもしれません。ちょっといしきしてみようかと思います。

 


“線”をどんなステッチで描くかを、ずっと模索しており今日はそれを見つけにいってました。試してはほどき、を5回ほど。
今朝部屋を出る時に浮かんだ両手を縫いました。

ギザギザのところ、この狭さはブランケットステッチではなく、ボタンホールステッチ、なのかもしれません。
この記録の中ではステっチングの内容とかはどうでもいいなと思ったのであまりそんな説明は出さなくなると思います。

とにかく、ドローイングに使えそうな“線”のスタンダードができてきてよろこんでます。

おやすみなさい。

20.01/07 embroidery note

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7時に帰って作ってあった焼きそばに目玉焼きとのりをのっけて食べ、尋常でない眠気をひとしきり乗り越えたら9時を過ぎていた。それから刺し始め、2時間半くらいか。久々の出勤でへろへろだからか、細い線でゆるく引っ掛けていくステッチがしたくなっていた。

色の並びも悩みつつ。コスモ刺繍糸はどの色も中間的で好みな色なので、それは楽しい。

ステッチング覚えれば、もっとはやくできるんだろうな。当たり前だけど。はやく使いこなしたい。

20.01/06. embroidery note

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変化が少なくて申し訳ない。今日は裏地の散々な処理を整えながら進めました。

やっぱり、慌ただしい気持ちでやっている時と、落ち着いてやれるときと、処理のしかたや線の感じがぜんぜんちがってきますね。

面が埋まったところが綺麗に揃ってくると、うれしくなります。

時間がなくても次回以降の邪魔にならないように、最低限の処理を覚えてきれいにやれたらいいな。

 

裏処理の整頓と、

ブランケットステッチの練習をしました。

20.01/05. note ー 舟とネットワーク

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思考に舟が登場する。
生きぬくことを考えていると、よく出てきます

 

生き抜く、というのはここでは

人々と関わったり、今の環境のなかで、
手元、足元の選択をしていくことです。

働き方、お金や時間の使い方、したいことをするには、どれくらいの時間がいるかとか、言葉の選び方とか、長期的なものから、今日の行動まで 。

 

社会や環境を海原として、私たちはそれぞれの舟で進んでいる、というイメージをよくする。

その舟のカタチは様々であり、進み方や大きさも違うのが、生き方の違いとかに当てはまってくる。

会社とかは大きな舟に複数人乗ってるものだと思う。脱落して、救命ボートでしばらく進まなくちゃいけなくなったり。

その社会の、海のどこかで大きな出来事があれば、波が立って、それぞれに伝わっていく。災害がおきたり、誰かが亡くなるときも、波紋になってひとりひとりに伝わっていくような感じがする。

そうして繋がっているように思うから、全く違った生活をしてるのに、同じことを考えている人がいたりすると、自然とその舟を意識したりします。同じ水面上にいるなあと感じたり、そこで見上げた星空の、同じ座標の下に生きているのかもなあ、とか。

 

暗い中で一人で漕いでいるので、 

そういうのを感じると、月明かりのようなぼんやりとした燈りを感じて

勇気をもらえるし、

”続けること”の意味を感じる瞬間になります。

 

SNSは、なんというか、

物質として形のないものでありながら

それぞれの生活や行動との距離の近い表現なので、

どうしてもそういう生き方や舟のようなイメージも持ちながら接することになります。

自分の中では。

 

ーーー⛵️

 

 

SNSの更新をすると、今までの付き合いのなかで繋がってきたひとたちが、それぞれにどこかで見ていることを想像します。

 

この発信を見る人のなかには、仕事でお世話になった人、迷惑かけた人、同志や友人、会ったことのない人が一度にいて
何かを発信する時、した直後には、その全ての人の気持ちや生活に意識が向きます。

 

基本、目しか使わないから頭ばかり働かすし、考え過ぎてしまいやすくなるのだと思います。

ひとの心や生活と、簡単にアクセスできるということだし、(様々な暮らし方をしている)見る側からも心や生活との距離も近い。見るタイミングとかも、それこそ個人的な生活習慣や気まぐれによってくるし。

 

ひとの気持ちや生活になんて、私ごときが構ってはいけないと思うのですが、とくに私の癖として、そんなエネルギーをどうしても使ってしまいます。

だから、自分にとってはSNSも、“作品”の一部を見せるくらい、肩に力の入った気持ちで接してしまいます。

一回一回の投稿が、自分のしたいことの“文脈”となっている、というようにおもえていないと。

 

作品を出す身からすると、面白みとしても、目障りなものとしてとられても、仕方ないっていう割り切りは、ある意味必要なものだとよく語られる。

それより自分がどんな文脈を作ろうとして更新をしているのか、というのを、わかってもらえるまで続けるしかないのだと、思います。

 

はやく思考の舵取りを覚えて、 

そのへんで作った笹の舟を川に浮かべるくらいの気持ちで

やれるようになれたらって思います。

20.01/04 embroidery note

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毎日ちょっとずつですが縫ってます。途中感も強まってます。

シンプルさを壊す過程には、ちょっと不安になったりしますが、色が増えてきて楽しくなってきてます。

 

糸の線をひっかけて角をつくるブランケットステッチという縫い方がずっとうまくいかなくて何度も挑戦していました。

ちょっと変えてフライステッチという、これも糸を引っ掛けて縫うステッチングをやったらイメージがつくりやすくなり(左端の逆“く”の字のような連なり)、真ん中の方で面を埋めるようにやってみたら段々とコツが掴めてきました(真ん中のギザギザ)。